2008年10月17日

インプットの重要性

なんとなくブログを書こうと思って、こうやって編集画面に向かっている僕なんですが
如何せん何も思い浮かばない。

いや、しょうもない話、くだらない話、自分にとってしか重要でない話はあるんだけど、そんなことここに書いてもね。
何がしたいのおれ?ってね。

今日はそんな何も書くことがないという残念な気持ちから生まれたエントリです。

まず、何も書くことがない、もしくは思い浮かばないというのは何故起こりうるのか。

すごく単純明快な答えなんだよね。
インプットが足りない。

ではなんでそんなことが起きるのか。

1・毎日がルーティンすぎて、目新しいものが何もない。
2・自発的な行動を取らない為に、外部からの刺激がない。
3・色々と遊んだり、行動したりはしているが、目的がないため記憶に残らない。

要するに、自分で考えて行動していないということ。

月曜だからサークルに行く。
卒論を書かないといけないから書く。
バイトに行かないといけないから働く。
Sex and the cityを借りたから見る。
飲み会に誘われたから行く。

一見自分の判断において行動しているように見えるけど、
ほぼすべてが何らかの事象に反応して、それに従って生きているだけ。
それを当たり前のように続けていくと人はもう「考えなくなる」。

この「考えなくなる」。というのは物凄く恐ろしいことだと思いませんか?

全てが何かのカウンターリアクション。
Aの場合は○○しよう。
Bの場合▽▽しよう。
という様な具合に世界が全て線形となってしまう。
本来、我々の生きている世界は非線形であり、あーいう時はこーしようという決まった答えなど存在しない。

これを打開するためには、
①インプットの量を増やし、それを応用する練習を積む。
②自分の頭で考えて、しっかりとフィルターを通してから答えを出す。

僕も含めて世の中のほとんどの学生は上述の2つをできていない様に感じる。

その結果4年間もクソ高い学費を払い高等教育を受けながらも

①専門的な知識がない。
②表面的な薄っぺらい話しかできない。
③人間としての幅というものが感じられない。
④一緒にいても成長を感じられない。

様な気がする。言い過ぎかしら?

幸い僕はまだ4回生で学生生活が5か月ほど残っている。
うしっ。やるか。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

専門的知識が身につけられないのは痛いよね。
やっぱり院とかに行くしか、そういうのは身につけられないのかな。

あっ、でも何かを行動するにあたって、何かの事象が行動させているものもあるとは思うけど、それって鶏の卵の話に似てるなって思った。

ってグダグダなコメント・・・

tosshin さんのコメント...

>たいが
ほんまにそれね。
院にいかないと身につけられないじゃなくて、日本で普通に生きていくのに必要とされていないから身につかないんじゃないだろうか?

鶏の卵ねー。もう少し考えてみます^^