2008年10月29日

社会的アダルトな僕たちは

ああ、怒られたさ。
グサグサと僕のハートを突き刺してくる槍の雨のような言葉を発するのはいつもGreeneだ。

昨日は僕たちゼミ生及びこの世の中の大半を占める人間のLazinessやStupidityについての説教だった。
いやあれは最早説教というよりも一種の憐み、同情のような響きさえあった。

僕や皆の周りにはLazinessやStupidityが溢れている。
学校、社会、家族、友人、会社、色々ある。

僕たち二十歳以上の人間は社会の定義するところのアダルトなわけで(本当に大人と言えるかは全く別物だが)
自分たちの行動やこれからの未来においては、完全に自己責任を負わなければいけない世界に住んでいる。

例えば僕は関西学院大学の総合政策学部に通っている。
お世辞にも自慢できるような学校ではない。
とりあえず本を読む人が物凄く少ない。
全てにおいてスピードが遅い。課題も少ない。ゆるーい大学。
フォローではないけど、もちろん良いところもある。

そんな環境にいるとそれがノーマルだと感じてくるのだけど、
皆がそうだからそれが正しいなんてことはありえない。

僕たちアダルトは、自分たちの置かれている環境に甘んじてそこに身を置いてはならない。
僕たちアダルトは、自分たちの置かれている環境の弱さを治す責任がある。
僕たちアダルトは、自分たちの基準を自分たちの置かれている環境などで言い訳にしてはならないのだ。

If you don't improve your self, who's going to inprove you? 

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