2008年8月17日

見えない檻

社会で生きていくのに秩序やルールが存在しなければ
人々は皆、自分の欲望のままに行動し、混沌とした世の中になるのだろう。

故に秩序やルールのない世の中を求めることをしようとはしない。

しかし、この秩序やルールという見えない檻に囚われすぎるのはどうなのだろうか?

先日、ものすごく久し振りに大学の図書館に行ったんだ。
朝一番の図書館。そこにいるのは僕と図書館のおばさんたちだけ。

そんな時に僕の携帯が鳴って電話に出た途端に「電話は外でしてくださいね。周りの人の迷惑になりますから」と。

周りの人とは誰なのか?

受付で僕の電話の話し声より大きな声でおしゃべりをしているあなた達のことなのか?

確かに僕がしたことはルール違反だった。
図書館での電話の使用は禁止だということも知っていた。

でもこのルールはあくまでも周りの人の迷惑になるが故に作られたルールじゃないのか?

それならば僕が一人で電話をしている状態というのは
「その場所に居合わせた当事者間の約束事」としてスルーしてくれてもいいのでは?

確かに「社会との約束事である」と考えれば
僕はこの電話に出るためにいったん外に出るべきだけど。

これは例えば、車通りのない道の信号を無視するであったり
誰も乗っていない女性専用車両に乗るであったりと色々な状況でも同じだと思う。

要するにもうちょっとニュートラルでいようよ。と

社会のルールに乗っかって生きていくのは簡単。
何も考えなくていいから。

前のエントリー(Whistle Point)でも書いたけど、同じインプットでも全く違うアウトプットが出る
非線形の世界で生きているんだから。

もうちょい融通利かせてよ。おばちゃん。

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